1月18日、なぜ卵で生まれるポケモンに種があるのだろう、
というのはたぶん過去にさんざん議論されてきた疑問なのだろう。
私も過去に何度か同じ疑問を持ったような気もする。

普通に考えると「別にタネマシンガンやタネばくだんを使うポケモン自身が自らの技をそう名付けたわけではないし、技を見た人間が勝手に種だと思い込んだだけ」か「かつて植物だった頃の名残」なんだろうけど、何か結論って出てるのかな。
「キノコのほうし」についてはパラスの図鑑が、あれは冬虫夏草だと説明してくれてるので、たぶん後の世代のも全部、寄生されてるだけなんだろう。キノコなら種類によってはシームレスに見える寄生もありうる。
では、大半のくさポケモンも、実はあれ植物に寄生(共生?)されてるだけなのかな。そういえばフシギダネも「背中に不思議な種が植えてあって」とあったぞ。完全に植えてるな。
体から葉っぱが生えてるように見える連中も、ワカメが髪の毛みたいにくっついてるような感じで、実は寄生されてるだけなのでは。技マシンや遺伝で技を覚えるというのは、つまりその手の植物を継承してるってことなのだろうか。

超メジャージャンルは検索順位がSEOに支配されているので、このような些細な疑問を検索で解決するのが難しい。

卵で生まれない、植物型のモンスター的なやつが、種をマシンガン的に飛ばすのは、まあまあ理に適っている。
種を遠くに飛ばすついでに身を守る、相手の体に食い込んだ種を何処かに運んでもらう、殺した相手をそのまま養分にする、どんな目的の進化でもまあまあ納得できる。
何の話をしているのかというと、「進化の歴史も知らずに結果にケチをつけるのはナンセンスだ」って話よ。業務効率うんぬんは別としてだ。

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# by ruif | 2017-01-18 07:23 | →日記。 | Trackback | Comments(0)
1月17日、袋の中身が素敵なものだという保証があって、初めて袋は中のものを魅力的に見せる。
つまり、死なない保証があるどきょうだめしみたいなものでしょう。
捕まらないつもりの悪事みたいなもの。
殴り返されないと思い込めるがゆえの暴力で、毒がないと聞いているがゆえの虫食。

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# by ruif | 2017-01-17 00:54 | →日記。 | Trackback | Comments(0)
1月16日、音色やサンプリング環境の異なる合成音声でユニゾンするやつ。
合成音声の特徴である硬質な響き、音域の欠落などを緩和する効果があるので、まあまあ使われる手法ではある。
これを物語形式でやると、群像劇でもヒストリーチョイスでもなく、別作者によるコミカライズ同時連載ということになるらしい。
まあまあ昔からある手法だし、言葉だけで聞くよりも、意外に効果的でもある。
確かに単品なら切ってしまうようなものでも、2つ3つ同時に出されると全部追えてしまうし、うっかり単行本も全部買ってしまうのだ。
群像劇ほど間が空かず、合同誌ほどバラバラではない。

これを絵画でやると、どうなるのかなあ、と考えていた。
たぶんコラージュではないし、合作や展覧会でもない。トレスでもパロディでもないんだろうなぁ。
ぼかしかけたレイヤーを透明度高めにして重ねるとかだろうか。
音楽で言うなら、民族楽器を使うのに近いから、厚塗りとかになるのかなあ。

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# by ruif | 2017-01-16 08:34 | →日記。 | Trackback | Comments(0)
1月16日、ドラフトモルト。
ひえええ。過去の記憶が蘇ってしまった。
私思うんだけど、トースターのない環境って、大抵、四角い食パンも存在しない環境だと思うんだよね。

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# by ruif | 2017-01-16 00:21 | →日記。 | Trackback | Comments(0)
1月15日、ひきずり黄金郷。
特にひと段落ついたわけでもないのだけれど、ひと段落ついたような気分になってしまった。
年が明けたからだろうか。

「こういうのが見たい、読みたい」という原動力で作られたものというのは、何かしら惹かれるものがあるのだなぁ。
以前に触れて、もう二度目はいいやと思ったり、何かしら気に食わない部分があったりしたはずの物でも、再度見ると、やっぱり何かしら惹かれてしまう。
「この部分で作者はどのように考えていたか」という問いの解答を考えるに当たり、「こうこうこういう要素を入れれば受けるぞ」という答えを見出すセンテンスよりも、「ああ今楽しい、超楽しい」という答えが見える箇所の方が、読んでいて楽しい。

作者がすごい楽しんで、全然意味はないんだけれど、とにかく自分が気持ち良いと思えるか、又はそれ以外の世界の全てが気持ち悪いと思えてしまうか、というような詩文の同人誌を先日読ませていただいたのだけど、その中に一ヶ所だったかな、何か文字数合わせと言うか、前後の文章を繋ぐためだけの一文が紛れ込んでて、これ後から読んだ作者は自分ですごい不愉快な気持ちになるんだろうなぁ、可哀想になぁ、と眠い頭で考えていた。
それはもう完膚なきまでに、そこだけ単なる繋ぎだったの。それ以外の部分に文意や意図があったかは知らないんだけど、とにかく「これさえなければ、きっと作者は十年後に何度も何度もこの文章を読み返すことができたのに」って、きっと同じような経験のある人ならば誰でも思えてしまうほど、そこが浮いてた、ように眠かった僕は感じたのだったと思う。

本当は1分55秒で終わらせるべきだった動画を2分30秒の尺で作ってしまったとか、それくらいの、そのために再視聴をためらうようになってしまうとか、たぶんそういうのを思い出していたんだろうなぁ。
ううん眠い、眠いなぁ。
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# by ruif | 2017-01-15 01:25 | →日記。 | Trackback | Comments(0)
1月14日、年賀状を書き終えることで一年が始まる。
1月1日、年賀状。 ←去年の

去年(猿)、おととし(羊)とAdobe Illustrator用の干支ブラシを作成していたので、今年も本日作って、年賀状書いたのです。酉年、鶏の。
本日。松の内は15日までという説もありますし。。
b0039059_231275.png
ブラシはpublic domainです!
リンク切れしてなければここからDLできます! あと12年くらい使い道ないですけど。

public domain写真を元に作ったのですけど、白色レグホン的なやつのPD素材ってあんまりないのですね。
白い方が何かと使い勝手が良い(富士山頂と合成したりとか)のですが、仕方なく今年もブラシになってしまいました。
あとひよこの方は今さっき作ったので、年賀状には使ってないです。
本日投函したので、到着はたぶん16日以降ですね。大体宛先関東なので。
「15日までが松の内」とは。

でもほらあれですよ、年賀状シーズンが終わってからだと、臨時バイトもいなくなっているので、藪や溝に捨てられるパターンも減るじゃないですか。
私自身も以前、現住所のマンションが新築だった頃に(恐らく「郵便受けの場所がわからない」という理由で)、投函どころか送信者への返送もされないまま消えた年賀状の存在を確認しているので、年末年始の郵便屋さんって未だに信用できませんしねぇ。

そういうわけで、本ブログでも本日より新年という扱いにしておきましょう。
あけましておめでとうございます。
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# by ruif | 2017-01-14 23:21 | →日記。 | Trackback | Comments(0)
1月12日、ぺろっこれはカレーマルシェ!
っていえば、「ジャワカリーって言いたかったのかな?」と大抵の人は理解できるものだし、他のいかなるカリーでもなく、ジャワカリーを特定されることも自明ではある。
それが、いわゆる時代考証による結果の固定化というものだ。

大河ドラマの時代劇見てて「ネタバレやめてください!」というのはテンプレートジョークにすぎないし、つまり、武将や偉人を気軽に性転換させるというのは、「端からフィクションであり、結果は確定しない」ということのアピール、要するに制作者によるある種の防衛行為なのではないかな。

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# by ruif | 2017-01-12 00:37 | →日記。 | Trackback | Comments(0)
1月11日、Androidの5だか6だかからアプリをSDカードに移動できなくなったやつ。
3だか4だかから移動できるようになったのが、またできなくなったんだっけ。よく知らないけど。

「アプリをSDカードに移動できない」ということは、たとえ画像・動画・音楽等のデータをすべてSDカードに放り込んでも、保有できるアプリの数自体は、内部ストレージに依存するということになる。
これにより、本体容量の価値は飛躍的に増大し、逆に、SDカードもそこまで馬鹿みたいな容量は必要なくなってしまった。
ちょっと前の感覚で数十GBのSDカードをすすめてくる携帯ショップ店員の人もいるけど、数百数千枚の大容量画像をストックする必要があるのはその手のプロくらいだろうし、なおかつ「カメラ」を持たない程度の精度しか必要としない職種・業種で、それをクラウドも使わずメディアを持ち歩くのは何らかの機密に関わるか今時にしては厳密なセキュリティコンプライアンスを持つ団体に属している、かつ、その活動範囲ではスマートフォンを定期的に充電できる、というよくわかんないカテゴリの人に限られる。
動画と言ったって、YouTubeにそんな高画質の上げられないよ。ムービー素材の販売サイトでもやるのかしら。

閑話休題、で、アプリがSDカードに移動できなくなったので、スマホに入れておけるアプリ数が大幅に減ったという話。
結果として、カメラアプリの類いはほとんど捨ててしまった。
SNS系アプリが8つ入ってるんだけど、仕事で使うのと私用で使うのだから一応残しておく必要がある。
Webブラウザが3つあって、動作確認やアカウント管理の都合で2つ、あとフラッシュ再生用に1つ、ということになっている。
ゲームは内輪でのコミュニケーションのため2つ、常に持っておくものがあって、アップデート時の予備容量を考えると、その他には1つか2つ程度しか入れておけない。他に入れたいアプリができたら、やや気軽にアンインストールすることになる。

要するに、アプリゲームの回転率が上がってしまったのだ、Android6.0の導入で。

昨日まで寝食を惜しんでクエストをコンプしようとしていたゲームを、今日捨てる。
とりあえずしばらく残しておこう、というのができなくなる。
たぶんカムバック率は減るし、長期的なプレイより刹那的なプレイがスタンダードになる。
開発はより省ステップ低コストであることを求められる。
うまくやればアプリの隆盛を崩し、ブラウザゲームの復権も期待できるかもしれないけど、新規参入企業は意外とそういうノウハウ持ってないし、無理なんだろうなあ。
となると、携帯ゲームハードにも目が出てくるのかしら。無理なんだろうなあ。

本体容量、および各アプリの容量によってアプリの数に制限ができるというのは、重量制限のあるRPGやARPGのような感じに思えるけれど、筋力の増加で気軽に所持量を増やせるわけでもない。
そのまんま「インストールソフト」とか、あとなんだっけ、あんな感じかな。
この2010年頃は枠内へパズルのようにピースを嵌め込むような強化が微妙に流行っていたけれど、道具袋でそれをやっているのは見たことがない気もする。底の方に入れたのを取り出すのが大変だからかなあ。

何の話だっけ。
えぇとそうだ、ゲームを削除し続けると人間性に影響が出るのかな、みたいな話だった気がする。
飽食の時代は退廃のシークエンスだし、適当に一度洪水を起こそうって神様が言ってたよ。

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# by ruif | 2017-01-11 09:06 | →日記。 | Trackback | Comments(0)
1月4日、先行類似製品の機能を全部盛り込んだせいで噛み合わなくなるやつ、
あれ私すごい嫌いっていうか、仕様段階で糞⇒上層部か企画屋が糞⇒将来性がないと判断して気分が萎えてしまうというか、そういう無駄な所にお金や時間やスタッフの寿命をかけるのは人類の叡知という漠然とした虚なる概念(すなわち「夢」や「希望」と呼ばれる何かきっと美しいもの)への冒涜に見えるので、大規模開発より個人サークルの方がマシなものを作ってしまう可能性は、存外少なくないのかも。(これはつまり愚痴であり、いや、愚痴そのものであってそれ以外の何物でもないのだ)
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# by ruif | 2017-01-04 02:32 | →日記。 | Trackback | Comments(0)
1月3日、拙者、廿壱左衛門でござる。
佐々木拗太郎VS宮本武佐史郎、みたいなやつここでもう書いたっけ。
本日は鬼ごっこ、隠れん坊の類いでまじめに走ったせいで、足の指が開かない程の弱筋肉痛に襲われているのです。
体が自由に動かないというのは不安感を呼び起こすよなあ。
この感情を拡張したり、シフトしたりすることで、軽度の死の恐怖(※死にそうな人が勝手に抱いてるだけで、実際の死とはあんま関係ないやつ)を得られるので、まあまあ使い勝手は良い。
入手可能数も特に制限無いし、取得難度のわりに合成素材として優秀だから、序盤は結構お世話になるのだ。

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# by ruif | 2017-01-03 20:43 | →日記。 | Trackback | Comments(0)