そんなもん、組織の構成者が本当にめいめい自分で考えて行動していたら舟が山に登るし、そりゃあ国家だって大衆が無思考ないし単純なルーチンで動くルンバであった方が都合が良いのはわかる。
管理する側だって、なんたら原理や成功パターンとして提示ないし教育された分岐に従って動く物がほとんどで、それはその上位の組織にとって都合が良いからなのかもしれないけれど。
どうせ自分で物を考えても、条件式が数文字か数行伸びるだけで、より良い結果が確実に得られる訳じゃないし、時間や労力を元にコストパフォーマンスを試算すれば、何も考えない方が遥かに効率が良い。コストがほとんどゼロになるんだから、リスクがリターンを上回りさえしなければ、実質∞に近い。
怒れと言われれば怒るし、気にするなと言われればしないし、そうやって感情を操作しようとする立場の人も、そうすれば利得がある、そうすることが自分の社会的立場にとって適切であると規定されているからしているだけで、それが適切であるとした立場の者も己が信じる教義に従っているだけで、教典を書いた者だってそうだ。そうして辿り着いた鶏卵の始祖は、きっと無から生まれた狂気か妄想に従ったんだろう。
それはわかるんだけど、でもなー。
奨学金だって生活保護だって原発だって民主党だって、流石にみんなリスクをわかった上で受け入れたんだと思ってたんだけど。
あんまりこういう話は好きじゃないけど、そりゃあ愚痴も出るよ。うるせーなっつーか。
火中の栗を拾えば、熱いよ。それで訴えるとか、西海岸かよ。東海岸でも訴えるかもしんないけど。
いや、リスクに伴うリターンとして「現状の単純な思考パターンを崩さずに済む」を想定していたのだとすれば、流れに乗った後出しデモは極めて正当なんだろう、でもなぁ。
というようなことを考えている人が、「誰かが下手打って社会の不平等ないし危険性の高い部分がマスコミ(ネットも含む)で取り上げられ、話題に上ったら、今まで何も言わなかった人達が規制しろだの廃止しろだのと言い始めるのはおかしい」という感性の下に「そのような者が自分の視界に入ることは、当方の精神安定にとって甚だ不都合である」と判断し、「あらゆる手段を用い、即刻、無学で無思考な連中を駆逐すべきである」という旨のことを言ってたのが面白かったです。
僕は今超だるいので、クラッチ操作以上に難しいことは何も考えてないです。